はじめに
古代史を学ぶことが生きがいになりつつある私(ひろ)が、これまでの古代史旅の経験をもとにお届けする今回のテーマは「Deepな伊勢」です。
伊勢と言えば、古代史マニアならずとも誰もが一度は訪ねたことがある伊勢神宮が定番ですが、天照大神を祀る皇大神宮(内宮)や豊受大神を祀る豊受大神宮(外宮)を始め、別宮、摂社、末社など合わせて125の宮社があり、これら全てを含めて伊勢神宮といいます。
これらの宮社の中からDeepな伊勢として、関西人でもあまり足を運ぶ人がいない3つの別宮を紹介しましょう。
【A】ぜったいポイント | 伊雑宮 |
【B】マニアックポイント | 月読宮 |
【C】せっかくポイント | 瀧原宮 |
【A】ぜったいポイント「伊雑宮」
「いざわのみや」または「いぞうぐう」と読みます。天照大御神の御魂が祀られる内宮の別宮です。
別宮14社のうち伊勢国外にあるのはこの伊雑宮だけで、内宮から南へ20キロ近く離れた志摩市磯部町にあって志摩国一之宮でもあります。
境内はそれほど広くなく、訪れる人が少ないこともあって、静寂な空気が満ちています。
鎌倉時代の撰とされる『倭姫命世記』によると、内宮を建てた倭姫命が神宮への神饌を奉納する御贄地(みにえどころ)を探して志摩国を訪れた際、伊佐波登美命が出迎えたこの地を選定して伊雑宮を建立したとされます。
境内から北へ歩いて3分ほどのところに倭姫命旧跡地とされる小さな遺跡があり、大楠の残根や土の中から掘り出された天井石が置かれています。
一緒に出土した鏡や勾玉は散逸してしまったようですが、ここが倭姫命に係わる遺跡ではないかとされています。
『日本書紀』によると、倭姫命は第11代垂仁天皇の皇女で、第10代崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命の跡を継いで天照大神を奉り、大和国を出て諸国を巡った後、伊勢国の五十鈴川のほとりに皇大神宮を創建したとされます。
また、神社南側の隣接地にある御料田では、毎年6月24日に「磯部の御神田」と呼ばれる御田植式が行われます。
この神事は国の重要無形民俗文化財に指定され、香取神宮、住吉大社とあわせて日本三大御田植祭とされています。
伊雑宮はこのような神田を持つ唯一の別宮でもあります。
余談ですが、神社前の道路を挟んだすぐのところに鰻料理の「中六」というお店があるのですが、このお店の建物は100年近く前に旅館として建てられたもので、国の登録有形文化財に登録されています。
肉厚でしっかりした食感が味わえる鰻は地元では大変人気があり、もし行かれる場合は事前に営業時間などを確認されることをおススメします。
【B】マニアックポイント「月読宮」
内宮から北へ2キロという近さにもかかわらず、この月読宮を参る人はあまりいません。
コロナ禍前の令和元年の年間の参拝者数は、内宮が630万人であるのに対して月読宮は12万人。
つまり月読宮を参拝した人は、内宮参拝者の50人にひとりという割合になります。
月読宮は伊雑宮と同様に内宮の別宮で、祭神として月読尊が祀られます。
『日本書紀』では伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に生まれた神、『古事記』では黄泉の国から戻った伊弉諾尊が禊で穢れを落とした時に右目から生まれた神です。
左目から生まれた天照大神と鼻から生まれた素戔嗚尊の二柱を加えて三貴子と称し、重要な神として登場しますが、それとは裏腹に記紀における記述はほとんどなく、たいへん影の薄い存在です。
内宮と比べて参拝者が少ないのはそのせいでしょうか。
天照大神と月読尊、日神と月神、左目と右目、三貴子のうちの二柱。
月読尊が天照大神と兄弟神であることを考えれば、内宮を参ったのに月読宮を参らないのはどう考えても片手落ちですね。
まだ参拝したことがない方は、次の伊勢参りの機会があれは是非とも参拝してください。
境内には月読宮とともに、月読尊の荒御魂を祀る月読荒御魂宮、伊弉諾尊を祀る伊佐奈岐宮、伊弉冉尊を祀る伊佐奈弥宮が並んで建てられていて、神明造りの社殿が4つも並ぶという珍しい状況を見ることもできます。
月読尊は同じ伊勢神宮の外宮別宮である月夜見宮にも祀られており、全国ではほかに出羽三山の月山神社、壱岐の月読神社、京都松尾大社の摂社である月読神社などにも祀られています。
【C】せっかくポイント「瀧原宮」
伊雑宮とともに「遙宮(とおのみや)」と呼ばれる瀧原宮は、内宮から西へ40キロ、車で1時間ほどのところにあります。
志摩国の伊雑宮よりも遠いのにここは伊勢国です。瀧原宮には瀧原宮と瀧原竝宮(ならびのみや)というふたつの別宮が並立しており、いずれも天照大御神の御魂が祀られますが、瀧原宮は和御魂(にぎみたま)、瀧原竝宮は荒御魂(あらみたま)が祀られるとも考えられています。
『倭姫命世記』によると、この瀧原宮は倭姫命が五十鈴川のほとりに辿り着く前に一時的に天照大神を祀った場所で、いわゆる元伊勢のひとつとされていますが、元伊勢で別宮となっているのはこの瀧原宮だけです。
立派な杉の大木が立ち並ぶ参道を歩いていくと、右手の谷を流れる頓登川(とんどがわ)の川辺に下りる小径があり、その先には御手洗場(みたらし)があります。
内宮の五十鈴川の御手洗場を思い起こす場所です。
さらに参道を進んだ奥まったところに社殿が並んでいます。隣接して若宮神社、川島神社という2つの祠もあり、瀧原宮→瀧原竝宮→若宮神社→川島神社の順にお参りするのが通例のようです。
内宮から少し遠い場所になりますが、様々な想いを巡らせて参拝すれば決して後悔することはありません。
まとめ
伊勢神宮では20年に一度のいわゆる式年遷宮という重要な行事がありますが、この式年遷宮にあたっては、これら3社を含めた14社の別宮もあわせて造り替えられることになっています。
実際に参拝するとわかりますが、現在の社殿のすぐ近くには次の遷宮時に新しい社殿を建てるための敷地が用意されています。
全ての神社の最上位に位置づけられる伊勢神宮の成り立ちや、この地に皇祖神を祀る神社が建てられた理由など、古代史における伊勢神宮の位置づけを考えると夜も眠れなくなってしまいますね。