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【古代史旅】Deepな奈良葛城 3つのポイント

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はじめに

古代史を学ぶことが生きがいになりつつある私(ひろ)が、これまでの古代史旅の経験をもとにお届けする今回のテーマは「Deepな奈良」です。

『古事記』『日本書紀』によれば、神武天皇が九州の日向から東征して奈良盆地に入り、橿原宮(現在の奈良県橿原市)で初代天皇として即位して以来、784年に桓武天皇が長岡京に遷都するまでの間、奈良の各地に宮が置かれました。

今回は、そんな奈良盆地の最深部(Deepな奈良)である葛城地方から3つの行き先を紹介します。

【A】ぜったいポイント 高天彦神社
【B】マニアックポイント 南郷遺跡群
【C】せっかくポイント 市尾墓山古墳

 

【A】ぜったいポイント「高天彦神社」

高天彦神社

金剛山の東麓、標高500メートルほどの高台にある高天彦神社は、Deepな奈良の中でも特にDeepなところです。

主祭神が高皇産霊神で神社名に「高天」がつくことから、高天原を想起させてくれます。

高天彦神社

また実際に歩いて数分のところに、高天原とされる史跡が存在するのです。

高天彦神社

 

アクセルをグッと踏み込んで急勾配を登った先の駐車場に車を停めたら、ぜひとも杉並木の参道を歩いてみてください。

午後の木洩れ陽の中を歩いていると自然と穏やかな気持ちになっていきます。

高天彦神社

神社を参拝した後はそのまま高天原まで歩きましょう。

左手には神奈備山の白雲峰、右手には稲田の向こうに奈良盆地が垣間見えます。

 

「葛城の 髙間の草野 早や知りて 標刺さましを 今ぞ悔しき」 万葉集・巻7-1337 作者未詳

(かつらぎの たかまのかやの はやしりて しめささましを いまぞくやしき)

 

高天原まで歩くと歌碑があります。

この地は万葉集が編まれた時にはすでに「高間(高天)」と呼ばれていたことがわかります。

『古事記』『日本書紀』編纂に携わった者たちがこの地を高天原として神代を描いたのかどうかは定かではないですが、少し想いを馳せながら眼下に広がる奈良盆地を眺めると、ホントにこの辺りが天上界の高天原だと思えてくるから不思議です。

高天彦神社

帰路の下り坂を下っているときに大和三山の先まで見渡せるポイントがあるので、わき見運転をせずに車を停めて眺めてみてください。

 

【B】マニアックポイント「南郷遺跡群」

南郷遺跡群

高天彦神社から少し下ったところ、標高140m~250mの比高差のある扇状地上に展開する遺跡群です。

縄文時代から室町時代の複合遺跡ですが、特に古墳時代中期から後期にかけての遺跡が濃い密度で点在します。

金剛山東麓の斜面を圃場として整備する際に見つかった数々の遺跡を総称して南郷遺跡群と呼んでいます。

 

この葛城地域は、南に風の森峠を越えれば紀ノ川へ出ることができ、北に葛城川を下れば大和川に通じ、西に水越峠を越えれば河内へ抜けることができる交通の一大要衝で、奈良盆地南部では最大の前方後円墳である室宮山古墳があります。

南郷遺跡群はこの地を押さえた葛城氏の拠点だったと考えられています。

 

たくさんの遺跡はすべて埋め戻されて一面に段々畑が広がるだけで、そんなところを訪ねてくる人はほとんど見かけません。

南郷遺跡群

建物もなく、人もいない。

五感と想像力をフルに使って古代の息吹を感じることができる絶好の場所です。

中でも一番のオススメは5世紀前半の豪族居館とされる大型建物跡が出た極楽寺ヒビキ遺跡です。

 

葛城川に注ぐ天満川とその支流の谷に四方を囲まれた独立丘陵は近寄り難い場所で、今でこそ木々に視界を遮られていますが、古代には奈良盆地を一望することができました。

そんな場所に建てられた大型建物はまさに城塞です。

調査の結果、建物や塀のほとんどが焼失していたことが判明し、眉輪王の変で雄略天皇によって焼き討ちにされた葛城円臣の居館ではないかと考えられています。

このほかにも想像力を掻き立てられる遺跡が満載の南郷遺跡群は、マニアックな楽しみ方ができる遺跡です。

南郷遺跡群

 

【C】せっかくポイント「市尾墓山古墳」

市尾墓山古墳

葛城氏の拠点を巡って、せっかく奈良盆地最深部まで来たのなら、巨勢氏の拠点にも足を伸ばしてみませんか。

巨勢山丘陵の東側を南北に延びる巨勢谷が巨勢氏の拠点になります。

『古事記』では葛城氏、巨勢氏ともに武内宿禰を祖とする兄弟氏族とされていますが、両氏は巨勢山丘陵を挟んでお隣さんの関係にあるのです。

この巨勢山には総数800基にもおよぶ日本最大級の群集墳である巨勢山古墳群がありますが、そこから北東に行った平地にポツンとあるのが市尾墓山古墳です。

高天彦神社

古墳時代後期の前方後円墳で全長が66m、6世紀初頭に大臣として継体天皇の即位にひと役買った巨勢男人の墓ではないかとされています。

高さが10mもあるので斜面の傾斜は結構きつく、油断すると転げ落ちるので気をつけてください。

市尾墓山古墳

もともと石室が公開されていたのですが、残念ながらコケ・カビ対策のために現在は公開を中止しています。

 

すぐ近くの天満神社の境内には全長44mの宮塚古墳があります。

市尾宮塚古墳

6世紀半ば頃の築造とされる前方後円墳で、国際色豊かな副葬品が出たことから、外交に従事していた豪族首長の墓と発表されました。

こちらも巨勢氏の首長墓と考えられます。

市尾宮塚古墳

巨勢谷を通過する巨勢街道は、北東へ進むと飛鳥に通じ、南西に進んでいくと巨勢寺塔跡や巨勢山口神社があり、墓山古墳や宮塚古墳とともに、巨勢氏の本拠地を感じることができます。

 

まとめ

「Deepな奈良」と題して、奈良盆地最深部、文字通りDeepな奈良にある3か所のおすすめスポットを紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。

奈良と言えば、平城宮跡、藤原宮跡、明日香村、纒向遺跡など、古代史マニアが必ず訪ねる場所がたくさんありますが、ここまで足を伸ばす人はあまりいないと思います。

神武東征以来の古代の要地をぜひとも楽しんでください。